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この神聖な大陸で最も天に近いとされ、それはそれは峻烈な高さと険しさを誇る山脈であることから、誰も踏み込めぬ“神の座”という異名を持つアケメネイ。そんな山の頂近くに、聖なる存在と人の子とから生まれたとされる“陽白の一族”が遺しし“聖域”があることも、それを守る任を託された人が住む隠れ里があることも、他の誰にも知られぬままに幾歳月。地上の安寧を突き崩し、世界を“混沌”へと戻す隙を狙う、負世界からの闇の使者、忌むべき魔王やその眷属がいつしか現れるその時に、それらを制する存在として必ず降臨するだろう“光の公主”を生み出すところとされ、大地の気脈の最も濃厚な生気がほとびているところであるがゆえ。これまでのずっとずっと、人跡未踏の地として守られて来た…筈なのだけれども。
『神秘の水晶が、この聖域のどこかから通じている“水晶の谷”という空間の、そこを守りしエルフの手元にあると、確かに言われておりました。』
誰も踏み込んだことがないと言われつつ、なのに、そこにそんなものがあると言い伝えられ続けているのは、もしかしなくとも矛盾してやいないかしらんと。…いやいや、そんな揚げ足取りをしている場合ではない彼らであって。
――― 邪妖や魔族、悪霊との戦いに於いて
目覚ましい威力を発揮する聖剣へ、特殊な技法で鋳込まれる水晶。
それが…聖なる力を秘めたる“アクア・クリスタル”であり、それを守る精霊(エルフ)に逢えたなら、その水晶を授けてくれるかも知れませんし、邪を祓うための何かしらの対抗策をも教えてくれるやも知れません。ただ、
『大地の精霊であるドワーフが、クリスタルを鋳込んだ“聖水の剣”を作るという伝説が当地にも残っておりますが、そんな御伽話の存在が実際に居よう筈がありませんから。』
恐らくは象徴的な揶揄であり、深山に入りて精神修養を成せという意味の教えではないかと…と語ってくださった惣領様だったのへ、
『大地の精霊ドワーフには、俺たち、実は覚えがあるんでね。』
だからこそ、眉唾じゃないと確信出来ると。いや…言いようとしては、もうちょっと。乱暴で、あのその…ざっかけなくも飾りなく、それはそれは判りやすかった描写を持ち出した、うら若き黒魔導師様だったような気もしましたが。
『四の五のぬかしやがったなら今度こそ、彼奴の巣穴があった庭なり地下なりを掘っ繰り返して、地獄の果てまで追い詰めてやろうからよ。』
『妖一ったら過激〜〜〜vv』
『ダメですよう。そんなことを言ってたら、それこそ怖がって逢ってもくれなくなりますったら。』
過剰に凄むのはやめて下さいようと、彼らの主人格であるはずの“光の公主”様が泣きそうな声を出して制していたのも、彼らのちょっぴり不思議な力関係をまんま示していて、何とも奇妙な眺めであったりし。
「良ろしかったのですか?」
聖なる隠れ里の一番の奥向き。この屋敷の中庭に唯一あった“旅の扉”を隠す祠の前にて。その岩戸をじっと見やったままでいる惣領様へと、隋臣長が遠慮気味に声をかけた。色合いも型も質素だが、丈夫でしかも暖かそうな。あくまでも実用向きに徹した冬の装い。それに身を包んだ主従二人はまるで、ただただ教えを全うする、敬虔で厳格な僧侶のようにさえ見えて。雪こそやんでもまだまだ春は遠く、それは素っ気ない寒気の立ち込める中。此処ほど静かな世界はない筈の“禁忌の里”でありながら、何百年も続いた静謐を掻き乱し、立て続けに色々と騒動が起こった数日だというのに。そんなことさえ匂わせないような、あくまでも厳粛な空気が満ちており、
「…そうさな。」
惣領様が、ぽつりと呟く。陽白の一族が、後世に必ず現れると預言した“光の公主”様。暗黒の魔界から襲い来る悪鬼・邪妖らに、その存在を根底から抹消してしまうほどもの聖なる光を降りそそいで誅す御方。
「警戒心の強いスノウ・ハミングが、ああまでも馴染んだことだけを取って見ても、奇跡の存在には違いないのだ。」
それは幼く、自分の次男を含めた連れの全員へ及び腰でいた、何とも頼りなげな少年ではあったけれど。外界との接触がない自分らでさえ、捕まえるのに苦労する聖鳥だというのに。あの次男へ預けることが出来る身となるまで半年かけて慣らした、それだけ繊細な存在だのに。それがああまで懐いていた様を間近に見てはなと、何とも言えない、微妙で擽ったげな微笑い方をなさった惣領様、
「伝説や精霊や、そんな神憑りな存在が実際に現れるような奇跡が起こっても、
決して不思議のないお方には違いない。」
その公主様ご一行が旅立った岩戸を、しみじみと、いつまでも、眺めておられたお二方であったそうな。
◇
今回のお話のあちこちで、やたらと取り沙汰して来た“アケメネイの聖域”であるが、
「聖域といっても、此処からがそうっていうはっきりした区切りや境界線がある訳じゃあないからな。」
葉柱はそう言って、恐らくは彼らが訪れたのが何百年振りというほどもの久し振り過ぎる来訪者となるのだろう、到着先の祠の岩戸へと向かい合う。その腕の中、励ますように両肩へと手を置かれて、小さな公主様が立っており、そんな彼の腕には…尾長鳥仕様のスタイルに戻っているカメちゃんが留まっており、
「…カメちゃん、も一回だよ?」
此処へと旅立つためにくぐった向こうの岩戸も、このカメちゃんの鳴き声が鍵になっていたという特別な仕様の扉であり。そうまでして堅く守られていた、正に聖なる場所へとやって来た彼らなのだけれど、
「…おお。」
「わ。」
「ふ〜ん。」
カメちゃんが再び“こぉ…っ”と鳴いた途端、ゆるゆると開いた岩戸の向こう。そこには溢れんばかりの光が満ちており、
「…氷でしょうか。」
「いや、これは…。」
まず広がるは密集して葉の茂る木立ちと、足元には僅かばかりの短い下生え。まるで、つい最近まで誰かが通り道として使っていた道ででもあるかのような、そんな様子の趣きだったが、そこを素直に進んだ皆の目は、自然と とあるものへと引きつけられており、
「水晶でしょうか。」
木立の隙間から見え隠れしている、美しい光たち。数メートルほどのプロムナードを思わせる小径を経て、衝立のように垣根のように道に沿って並んでいた木立が途切れると、そこにはエントランス代わりの空間が開けており。樹の隙間からしか見えなかったものが、その姿の全貌をあらわにする。
「わぁ〜…。」
そこは確かに渓谷であり、幾つもの岩壁が幾重にも折り重なって展開する、何段重ねなんだかなというほどものパノラマ、壮絶な風景が広がっていて。しかもしかも、その岩肌のところどころには、路傍に咲く花の代わりのように、柱の状態に咲いた水晶の株が散りばめられていて。上空からの陽射しを受けて燦然と輝く様が、何ともかんとも目映いばかり。
「霜柱にしちゃあデカすぎよう。」
「それに、そんなのが育つところとは思えないし。」
綺羅らかな水晶の冷たい見栄えのせいで気づくのが遅れたが、ここは不思議と寒くはない。まま、旅の扉による移動をした身なのだから、元居たところとは気候が掛け離れた場所である場合もありはするだろが、
「アケメネイの聖域なんだったら、そうそう離れてなかろうから、気候が違うってのも妙な話だけれどもな。」
でも確かに、外套やマントはたちまちにして暑苦しいお荷物へと変化した。これはたまらんと、それぞれに着込んでいた厳重な装備を脱ぎ始め、さて。
「こっちの心理を読んでのことなら、大いに馬鹿にされてるってことにもなろうよ。」
何せ、こちとら“水晶”を探しに来たのだしと、蛭魔が挑発的に笑って見せる。どれでもどうぞと言わんばかりに、水晶があちこちに置きっ放しという風景は、確かに…ある意味、馬鹿にされてもいよう。そんな意味での発言へ、
「来たのが僕らだから、こんなだっての?」
桜庭が首を傾げる。先程 葉柱が口にした“目に見えての仕切りがない”という言い方は、エリアを大まかに取り囲み、必要以上の接近を避けるという、周囲からの接し方から来る認識の話であり。聖域というのは、それと認めた以上はむやみに侵してはならない場所であると同時、場所自体にも抵抗力が備わっている場合がある。侵入者の属性を察知し、それが不適当なら押し出して寄せない。そんな格好で自動的に張られた結界により守られてもいよう、言わば一種の亜空間。霧の中に存在し、行けども行けども辿り着けず。疲労困憊して倒れた揚げ句、ハッと意識を取り戻せば…近在の村で助けられていたなんて話は山ほどある、所謂“隠れ里”と同んなじで。
「判りやすい仕切りや障壁じゃなく、結界の中でも最も厳重なもの、空間を重ねた“合(ごう)”障壁でもって、厳重に遠ざけられてるもんだろからな。」
見えてるものがそのままの意味合いを負った存在だとは限らない。自分たちが此処へと来る来ないは関係なく、ずっとこんな場所だったのか。それとも…彼らの欲求を嗅ぎ付けた上での、それは行き届いた“擬態”か。
「…アクア・クリスタルというのは、どんな水晶なのですか?」
防寒用だった分だけ余計に嵩張ってる装備を1つにまとめ、聖域に泥棒がいるとも思えないからと置いてったって良かないかなんて言い出してる金髪の魔導師様と向かい合う葉柱さんへ、セナがおずおずと声をかければ、
「それがな。色も形も大きさも、まるきり判ってはいないんだ。」
「………ほほぉ。」
ただでさえ見渡す限りのあちこちへ、大安売り中の特価品の如くに溢れている水晶だってのに、目的のそれもまた、どんなブツだかヒントがないと来ては、
「そうまですっぱり、よくも言い切れたな、この糞坊ちゃんはよ。」
細い眉と頬とを、ほとんど同時にひくひくと震わせて。何だか面白いことを仰せのようだけれど、それってどういう覚悟や料簡があってのお言葉なのかしらんという含みもなみなみと湛たたえつつ。半端なところへは きっちり方ァつけてもらいましょうかという威嚇たっぷりの低いお声で、迫力の三白眼になって蛭魔さんが言いつのれば、
「だから、だ。」
あの迫力の妖一に睨まれても、動じたり怯えたりしないところは凄いなぁ。惣領様の息子さんだからでしょうか。そうだろか。じゃあじゃあ、お城で過ごすうちに慣れたとか。でも、度胸は前からあったもんねぇなどと、すっかり傍観者になっている桜庭と、それへ引っ張り込まれる格好にて付き合わされたセナが見守る睨み合いは、
「聖域の中へは入れたらしいから、これが“試練”だってんならば、それを乗り越えりゃいいだけのことじゃねぇのかな。」
けろんと言い切るお坊ちゃまには、やっぱり焦りは見られない。
「試練?」
「ああ。」
複合聖楔で守られし聖域。そこへ入るための条件を、自分たちはちゃんと持ち合わせていたから今此処に居られるのであり。此処にある何かがほしいというのなら、やっぱり自分たちで何かしら努力をしろと、そういうことじゃねぇのと、
「そういう解釈がすぐさま出るところは、悪くねぇ反応だな。」
蛭魔の方とて、まさかに狼狽うろたえた訳ではなかったが。もしも“知らなくて何で俺が悪いんだ”なんて開き直るつもりでいたならば、そこはやっぱり…むっかり来ての腹立ち紛れに、制裁の蹴りとか拳とか、1つや6つは出ていたところ。(おいおい)
「指し詰め、本物はどれだ?ってところだろうか。」
「それが“試練”なら、そういうこったな。」
そうでないならないで、何かしらのリアクションとか発見が拾えるかも知れず。
「とりあえず、分け入るぞ。」
おおう、何て穏便で素早い対処が弾き出されたことやらと、傍観者二人が驚いたところへは…きっちりと制裁の拳が大小落とされてから、
「痛った〜いっ。何でセナくんへのと強さが違うの〜〜〜。」
「お前はこんくらいじゃねぇと堪えんからだ。」
まったくようとせっかくの美貌なのに鼻息も荒く、そうと言い切った金髪痩躯の魔導師様に引っ張られ、小さな公主様を先頭に、一行は歩き始めることとなった。幸いと言ってもいいものか、最初のお山を登ることとなる岩肌の小道は、そんなにも狭くて険しい道ではなくて。乾いた土が続く足元の路傍や、いかにも武骨な傍らの岩壁には、角柱状の結晶が大小咲き誇る水晶の株たちが満開で。角度によっては光の色みを変えて七色に輝く様が何とも綺麗で、そりゃあ目福な道行きであり、
「此処って…咒は使えるってことかな。」
蛭魔がついつい呟いたのは。寒くない場所なら大丈夫と判断したか、大トカゲのスタイルへ戻って、公主様の腕の中といういつものポジションへ抱えられたカメちゃんが、不意に“ふるるっ”と身を震わせたから。何かしらの危機や気配を察知したからではなく、そのままでは重いだろからと、自分の姿をもっと小さなトカゲさんに変えたからで、
「どうだろう。此処に来るにはまず、白魔法で“旅の扉”を稼働させなきゃならない訳だしね。」
しかも、あのスノウ・ハミングも同伴でという、なかなかに厳しい条件づけがあって初めて、その土が踏める特別な場所。
「咒の発動でどうにかなるっていうような、そんなまで脆いデリケートさはないってことか?」
「うん、そんな空間だと思う。ただ、乱発すると嫌がられて、揚げ句は追い出されるって可能性の方は消せないけど。」
その存在が今もなお肯定・認可されてるこの大陸でも、咒は特別な力だから。怠け者の不精な技ではないながら、人知を越えた力だという自覚のない大技の乱発は、それだけで…武器もて暴れるのと大差ない、威嚇や暴力にも通じているから。
「精霊にも色んなのがいるけれど、人とも意志の疎通が出来る存在だってなると、感情とか好き嫌いとかって部分も、人と似てるに違いなかろうからさ。」
その昔、聖魔戦争の最中にあって、陽白の一族へ“聖なる力を発揮出来る武器を作れ”と特殊な水晶を差し出した。そんな精霊たちだというのなら、自分たちが慾心から来た者ではないと判れば、手を貸してもくれるのではなかろうか。滅びという邪念に満ちた負界から力を引き出す、忌まわしき“闇の咒”を唱える輩たちからの追撃に、こちらも万全の構えで応じたい。彼らの企みを叩き伏せたい。尊いまでの聖なる想い…なんて仰々しいものは、あいにくと持ち合わせていないけど。力技で、しかも不意打ちでかかって来た連中の無体に“正義”が備わっているとは到底思えないから。それへの“抵抗”くらいは、許されてもいいのではなかろうか。
“……………。”
そんな風に相変わらず、意気盛んなお兄様たちとは打って変わって。それは静かな空間だなと、セナはそれへと浸っている。水晶は構造が脆く、そのくせ重いから、あんまり実用的ではないけれど。咒に関してならば話は別で、様々な特殊効果を備えた鉱物であり、殊に生気の増幅とか蓄積などへの応用は、古くから研究され様々な装備へと実用化されてもいる。カッティングという細工がしやすいのでと、一般には装飾品に用いられることが多いが、主にはやはり“魔よけ”とか、お守りとして広まってもいて。
“アケメネイの人たちも、みんな何かしらつけてらしたし。”
食事や何や、お世話くださった皆様も、街なかでお見受けした人々も、普通に身につけてらした水晶の何か。ブローチだったり指輪だったり、ペンダントやピアスだったりとそれは綺麗だったのが印象的で。でも、華美な装飾としてという雰囲気ではなかったとも思う。里への焼き打ちなんて悲惨な事件のあったばかりだ、自分を飾り立てるなんて暢気なことへ神経を使う余裕はまだなかろうし、どの方もそれは素朴純朴で、口数少なくお仕事をこなす、それは働き者な人ばかり。
“………進さんもそうだったな。”
寡黙で表情も乏しいままに、セナの影みたいにいつも付き従ってて下さった騎士様。あれほどの方なんだから存在感がないはずはないのに、不思議とその威容、日頃は小さく押し込められていて。まるで物言わぬ番犬のように、ただただ黙って傍らにいて下さった人。振り返れば、視線をやれば、必ず柔らかな眼差しがそこにはあったのを思い出し、それと同時に…今はなんて不安定にも寂しい身の上になったことかと、薄ら寒くなってしまうセナだけれど。
「おらおら。そんな頼りねぇ顔、してんじゃねぇよ。」
すぐの傍らを歩んでおられた蛭魔さんが、指の長い手をぽそんとセナの頭へと乗っけてしまわれ、
「進を取り戻すためだ。邪心を捨てて集中して、一途に祈りながら歩いてりゃあ、きっと何かが出て来るからよ。」
そうそうしょげたり、はたまた肩を張ることはないからと、そう言いたかった彼なのかも知れないが、
“………邪心?”
その一言が、セナの胸へ少々引っ掛かってしまった。優しかった進さんに逢いたいからこそ、ご無事なうちに助け出したいからと頑張っているのに。
――― それって“邪心”なの?
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*さあさあ、お次は誰が出るやら。
もう何となくピンと来てる人もおいででしょうがvv |